
■1歳違い出会って35年
-2人の出会いは1986年。35年の月日が流れた。 森保監督(以下、森保)「高校3年のとき、僕が(J1広島の前身で当時日本サッカーリーグの)マツダの入団テストを受けた際に知り合った。横さん(横内)の車に乗せてもらって練習まで行きましたし、晩ご飯も連れて行ってもらった。かわいがってもらいました」 横内コーチ(以下、横内)「最初は丸刈りで来たから覚えています。(森保)監督の実家にも、監督の奥さまの実家にも行った。なぜか監督は日本代表でいないときでしたけどね」 -冗談を言い合えるほど互いの信頼を感じる。 横内「(93年に)Jリーグになってから僕はけがが多く、なかなか試合に出る機会がなくて。もがいていると必ず声をかけてくるのが(森保)監督でした」 森保「わらをもつかむ思いでいろんな治療をし、復帰を目指しているのをプライベートでも見ていた。マツダで試合に出始めた若手のころからポジションをつかもうという同じ思いで戦ってきた。だから励ましたかった」 横内「一度ナビスコ・カップ(現YBCルヴァン・カップ)で点を決めたときがある。一番に電話をしてくれたのは、代表活動でいなかった監督だった。あのときはうれしかった」 -森保監督が2012年にJ1広島を指揮し始めた際、前任監督とともに辞めようとしていた横内コーチを慰留した。 森保「性格的に絶対的に信用できる人。アバウトな僕と違って繊細ですし、サッカーで起こりうる現象を正しく見ることができる。僕に違う見方や角度から反対意見をしてくれる人がいることで、正しい判断をしたいと思った」 横内「チームが一新するところだったので少し離れた方がいいと思っていたけど、直接電話がかかってきた。『広島を本当に強くしたい』という熱く強い気持ちを持っている人。なかなか断ることができない」 -五輪代表監督に就任した17年秋、迷わず横内コーチに頼んだ。 森保「横さんは義理堅い。高校を卒業して広島一筋だったので離れるのは相当な抵抗があると思った。でも自分が代表監督になったときに、一緒にやってほしいということは伝えておこうと。ちょっとずつお願いして引き受けてもらった」 -18年夏からフル代表と兼務。活動期間が重なると横内コーチが五輪世代の監督を代行した。 横内「連絡は当然毎日しました。オンラインではなく電話。顔を見なくていい(笑)」 森保「お互いに毎日何をしたのか確認し、次に進む感じ。友達のような付き合いだけど、仕事面での『報・連・相』はきっちりしてくださる。僕が活動に行けないときもあったけど手に取るように把握できた」 -議論が熱くなり、けんかになったことは。 森保「いっぱいあります。周りのスタッフが凍り付いていると思うけど…。僕が何か言ったら『いや、これもあるんじゃないか』と意見をちゃんと伝えてくれる。否定じゃない。僕が違う意見を求めているのを横さんも考えてくださって、思慮深く話してくれる」 横内「殴り合ったことはないですね。時々、コーチ陣でミニゲームをしたら削られるぐらいです」 森保「熱くなっても翌日にはお互い『すみません』と。いいおじさん同士でやっています」
July 19, 2021 at 05:04AM
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