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【東日本大震災11年 3・11の記憶 未来へ(4)】死者・行方不明者が1万8000人を超えた東日本大震災は、11日で発生から11年を迎えた。宮城県気仙沼市では、津波で店舗を流された酒店が今年5月、再建した新店舗で再スタートを切る。11年間営業を続けてきたプレハブの仮設店舗から格段に広くなることで「お客さんにゆっくり酒を選んでもらえるはず」と期待している。
「ここが入り口で、冷蔵庫があの辺です」。大越酒店の店主、大越巌さん(55)は、まだ柱だけの店内を指さし、働く姿を想像するように話した。2018年から始まった防潮堤建設のため、元の位置から数十メートル離れるが、11年後の再出発の準備で忙しい毎日を送っている。
震災2カ月後に高台に建てたプレハブ小屋での営業も、あとわずかだ。店内には酒瓶やケースがぎっしり。客は体を傾け、時には足の踏み場を探しながら進む。「こんな山あいの狭い店に来てくれるお客さんには本当に申し訳ない」とばつが悪そうだ。
珍しい地酒が並び、酒好きには知られた店だった。中でも象徴となる一本が、店のオリジナルで純米吟醸の無ろ過原酒「鼎心(かなえ)」だ。気仙沼湾の別称「鼎が浦」などが命名の由来。秋田や神奈川、東京から来る客もいるという。
25歳だった1993年に「生まれ育った土地と酒を結びつけ、地域の活性化に役立ちたい」との思いで、地元農家に酒米作りを依頼。地元の杜氏(とうじ)と交渉し、2年後の95年に完成した。以来、一升瓶で毎年800本を作り続けている。
2011年の新酒は、くしくも3月11日の午前に届いた。海から約100メートルの自宅兼店舗の地下冷蔵庫にしまった一升瓶500本は数時間後、店ごと津波にのまれた。3カ月後、冷蔵庫を開くと鼎心は泥まみれで眠っていた。いくら洗っても、金属キャップをひねるとジャリジャリと音がした。中身は無事でも「これは売り物にできない」。思いの詰まった酒も捨てざるを得ないと思った。だが、それでも「売ってください」と求める客は絶えなかった。頑固な大越さんは「金は取れない」と無料で渡しながら感涙にむせんだ。
「お客さんに救われた11年」だった。「このネット時代に店にわざわざ来て“顔を見て買いたい”なんて言われるとたまらないよね」と照れ笑い。新店舗は広さが3倍になる。「ゆっくり酒を選んでほしいし、震災前に開いていた“お酒を楽しむ会”も再開したい」と楽しそうに笑った。
再出発に心弾む一方で、未来への不安も隠せない。自宅兼店舗のあった場所は海岸線に近く、住居にはできなくなった。自宅と店舗は分離し、50代で新たに数千万円のローンを背負う重圧に押しつぶされそうな日もある。コロナ禍で飲食店に卸す酒が減ったことも不安を加速する。
そんな時、鼎心造りに奔走した25歳の自分を思い出す。「あの頃の大越ちゃん、パワフルだったよねと言われます」。鼎心には「(夢を)かなえる」の意味も込めたという。「命名の際は希心(のぞみ)など未来につながる言葉を4つほど並べて選んだ」と明かすと「まだまだ、がんばんなきゃなあ」と自身を鼓舞するようにつぶやいた。
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March 11, 2022 at 03:30AM
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東日本大震災から11年 一杯の酒が「かなえる」いっぱいの夢と希望 - スポニチアネックス Sponichi Annex
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