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ジブリパークで「楽しいこといっぱい見つけて」 ジブリの鈴木プロデューサー:中日新聞Web - 中日新聞

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報道陣の取材に応じるスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー=31日、愛知県長久手市の愛・地球博記念公園

報道陣の取材に応じるスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー=31日、愛知県長久手市の愛・地球博記念公園

 愛知県長久手市の愛・地球博記念公園内で1日、いよいよ開園するジブリパーク。オープンに先立って31日に記念式典などが現地で開かれ、さまざまなジブリ作品の制作に関わってきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、パークへの期待や未来像について取材などに語った。

 「子どもたちに、世の中には楽しいことがいっぱいあると知ってもらいたい。それが一番大事」。鈴木プロデューサーは「子ども」という言葉を繰り返し、パークの理想の姿を説いた。

 パーク事業の現場を取り仕切る宮崎吾朗監督の父、宮崎駿監督がお忍びで来園した際のエピソードを披露。メインエリア「ジブリの大倉庫」の遊び場「子どもの街」を見たときの反応として、「(宮崎駿監督は)人のつくったものは絶対に褒めないのが特徴だが、褒めただけではなく『俺には思い付かない面白さがある』と驚いていた」と明かした。

 来園者には「どう楽しむか、自分で見つけてほしい」という。「何度も足を運んでもらえるようなパークを目指したい」と話す。

 中日新聞社の白井文吾顧問・名誉会長が会長だった当時、食事を共にしたことをきっかけにパーク構想が動きだした、と経緯を振り返った鈴木プロデューサー。自身の出身地である愛知県での開園に「本当は別のところにしたかった。ずっと引っ張り出されて逃げられない。それが本心だけど、やるからにはそんなこと言っていられない」と、ユーモアを交えて語った。

<式典でのあいさつ>「面白い」宮崎駿監督が褒めた 

 今だからお話しできるが、最初に愛・地球博記念公園にジブリを持ってくるのはどうかとおっしゃったのは、当時中日新聞社会長の白井文吾さん。上飯田(名古屋市北区)の料亭に招かれ、「ジブリの展示を全部持ってきて倉庫を造って展示したらどうか」と。

 それと前後するように、大村知事が東京・恵比寿の僕の事務所に八回、やってきた。特に用事はなく、言いに来たのはジブリパーク。僕は名古屋市出身で、(自分が)忙しくなるのが嫌だったので避けていたが、何回も説得された。きっかけの一つだと思う。

 最後は、(パーク制作を監督した)宮崎吾朗。先般、秘密裏に宮崎駿(スタジオジブリ監督)と僕がパークを見たが、彼(駿監督)がいたく喜んだ。「ジブリの大倉庫」では(大人が入れない遊び場の)「子どもの街」を見て、びっくりしていた。「俺には思い付かない面白さがある」と。

 彼は、相手がたとえ息子であってもライバル視する。人のつくったものは褒めない。それが褒めた。それだけではなく、何回も「俺にはまねができない」と。吾朗君が、ジブリの精神を受け継いで、大きなことをやったと思っている。

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